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プロフィール

ozaki koetsu

Author:ozaki koetsu
尾崎光越 プロフィール

算命学宗家、高尾義政先生に師事し1988年、免許皆伝の証しとして周位三段を修得しました。
開業にあたり1989年、光越(こうえつ)という称号を授かり現在に至っています。
宿命鑑定、運命指導に徹することが私の一番のモットーです。

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占いの雑学
算命学に関連した占いの雑学、実例を掲載したいと思います。
占いの雑学・豊臣秀吉と天中殺
運命の雑学・豊臣秀吉と天中殺

 天中殺の期間中は「新しいことはしてはいけない!」「自ら行動的なことは避けろ!」という大原則があります。
もしこの鉄則を破り行動を起こしたら、必ず「無になる」、最悪の場合、「死もある」と言われるほど禍が顕著に表れる恐ろしいものです。

日本全国統一を成し遂げた豊臣秀吉は、更に文禄、慶長の役(1592~1598年)に朝鮮出兵と共に中国大陸制覇の野望を抱きました。
この時が秀吉の天中殺の時でした。

そのために禍はさまざまな形で表れました。
食糧不足、水軍の敗北、将兵達の戦争に対する反抗など秀吉にとって思いもよらない敗北の連続でした。
そして戦争処理の終わらない1598年に最悪の現象「死」ということになりました。
この秀吉の行動は天中殺の約束事を破り、自ら進んで死への旅を無謀運転した表れです。

また秀吉と側室、淀君との間に生まれたただ一人の子供、秀頼(1593年)は秀吉の天中殺の期間中に生まれた子供です。
天中殺の期間中に生まれた子供は、天からの授かりものには変わりませんが、親にとって子供としての役目を果たさない、親の跡を継げないという原則があります。

秀吉は生前、秀頼を豊臣家の跡継ぎにさせようと、あらゆる努力をしたにもかかわらず、秀吉の跡を継ぐことが出来ませんでした。

大阪の陣、秀頼23才の時、徳川家康との戦いに敗れ、大阪城落城と共に淀君と自らの命を絶ったのです。
必ず「無になる」という最大の証です。 光越
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