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ozaki koetsu

Author:ozaki koetsu
尾崎光越 プロフィール

算命学宗家、高尾義政先生に師事し1988年、免許皆伝の証しとして周位三段を修得しました。
開業にあたり1989年、光越(こうえつ)という称号を授かり現在に至っています。
宿命鑑定、運命指導に徹することが私の一番のモットーです。

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占いの雑学
算命学に関連した占いの雑学、実例を掲載したいと思います。
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占いの雑学・運命の共通点(2)
男女の出会いと結びつき

長男に生まれようとして生まれてきたわけではありません、それが変えることのできない宿命です。
子供が成長し、結婚する時期になると、不思議な組み合わせが出てきます。
男性が奇数番号の月に生まれたとすると、相手の女性も奇数番号の月に生まれていることが多いのです。
あなたも自分の身の回りの人たちを考えてみてください。

もし男性が長男であれば、奥さんは長女か三女、または末っ子ということが多いと思います。
奇数月生まれなら、相手も1月、3月、5月・・・というように不思議とそれが夫婦の縁になっています。
これが運命の共通点の一つです。
もし不幸にして亡くなった方がある時は(中絶、流産も入る)、その人を含めた順番で数えてください。

このように長男、三男、五男というように奇数番号に生まれると、不思議と奇数番号生まれの女性と結婚するのです。
これは一種の法則といえるぐらいご縁で結ばれます。

しかし、我々はこういう不思議さを全く感じていないはずです。
特に恋愛結婚の場合、相手が長女だから、また次男だから好きになった、などと考えても見ないでしょう。
たまたま巡りあって好きになり、結婚したら相手は長女だったというようなものです。
自然の流れの中で目に見えない不思議なところで、何となく運命が結びついているわけです。

長男が次女を好きになろうと、四女を好きになろうと不思議ではないのですが、こういう間柄では縁談が何となくまとまりにくかったり、とどのつまりが奇数番号の相手と結婚したという形になりやすいのです。

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算命学・占いの雑学・運命の共通点(1)
算命学・占いの雑学・運命の共通点(1)

ご夫婦に子供が授かりました。
いい子に育ってもらいたい、丈夫な子供に、将来どんな子供になるだろうか、と期待し楽しみにしながら育てます。
その子が男の子であれば、跡継ぎにしょうとする傾向がありますが、これは日本だけではなく東洋の習慣のようです。

男の子がいなければ長女が跡継ぎにというように、最初に生まれた子供が家を継いでいくという習わしです。
しかし、長男が家を継ぐとは必ずしも限りません。
長男が父親と意見が合わない、家を出て独立した、結婚して遠方に行った、というケースはよくあります。

自分がいつどの年月に生まれてくるかということは選ぶことが出来ません。
一年は12ヶ月ですが、長男というのは「生まれた月」によって、「長男の役目をする月」と「長男の役目をしない月」があります。

長男というのは番号で表せば一番目です。
次男なら二番目です。
つまり、長男に生まれたということは、宿命的に言えば「奇数の順番」に生まれたわけです。
自分が望んだわけではないのですが、一番目というのが与えられた宿命です。

長男は「奇数」ですが、一年の12ヶ月にも奇数の月があります。
1月、3月、5月、7月、9月、11月が奇数の月です。
これが長男として生まれてくる宿命的な「奇数月」の仕組みです。

つまり、長男でありながら「偶数月」に生まれたとしますと、長男の役目をしないで分家していく運勢を持つことになります。
長男でありながら跡取りをしていない場合、生まれた月に注意すると「偶数月」に生まれていることが多いのです。
生年月日から納得できないこともあるのです。
生まれた「順番」と「生まれた月」が一致していれば、「環境」と「宿命」が一致していることになりますから、長男なら長男らしい役目を果たしていきます。
逆に生まれた「順番」と「生まれた月」が一致していなければ、長男としての役目を果たし切れなくなるのです。

たまたま次男でありながら「奇数月」に生まれたとします。
そうすると次男でありながら「長男の役目」をしてみたり、長男が排斥されて次男が跡取りをしていくようになります。

一番順当なのは、「生まれた順番が奇数の人」・・・「奇数月生まれ」
「生まれた順番が偶数の人」・・・「偶数月生まれ」

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算命学・占いの雑学・運命に流されないコツ
算命学・占いの雑学・運命に流されないコツ

私たち人間の生き方の中には、小手先だけでうまく生きていこうとか、要領よくやっていこうとしても、どうしても「運命という大きな壁」に打ち勝てないところがあります。
時代と共に刻々と激しく変化していく社会状勢の中で、我々はどのような心構えでその変化に対処していったらいいのか、運命学の世界でご説明いたします。

運命の謎は人間の心にあるというところからお話しします。
心というのは、ある種の引力があって、磁石のように目に見えない力を持っています。
人間が、人生の何処かで上り坂であったり、何とか努力しなければとか、こういう物が欲しいという気持ちになった時は、心というのはグーっと凝縮して固くなります。
凝縮するとそれだけ引力も強くなります。

逆に心がだらけると、引力の度合いも小さくなります。
引力の度合いというのは人間の魅力でもありますから、ものを引きつける、財も引きつける、名誉や地位もありとあらゆるものを引きつけます。

ここまでは素晴らしいことですが、逆に運が下がってきた時に、何とかして下がるまいと張り切ると、今度は力めば力むほど不運が入ってきます。
下り坂で車のアクセルを一所懸命踏んでいるようなものです。
こうなると真面目で律儀な人ほど落ち方が大きくなってきます。

ですから力を抜いていい時と、力まなければならない時、これを自由にコントロールできる心を持って欲しいのです。
このことが世の中がどんなに変化しようとも、自分の運命が流されることのないようにするコツです。

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算命学・占いの雑学・迷いと夢(2)
人間はどんな時でも夢を見ます。
就寝中の夢ではなく、人生の夢です。
人間の夢や希望などを大まかに分けると二つに区分することが出来ます。

一つは「有願」といわれている夢や願いのことで、常に現実に立脚し、ある意味では、環境によって生まれた願望です。
たとえば幼少期に貧困の中で育ち、物質的な苦労が非常に多かった。
そのために、大人になった時、財力を身につけることを心がけたりする。
このようなことが有願ですが、有願には運命の神が味方してくれないという苦しさがあります。

人間の夢にも運命の神が味方してくれる夢と、味方してくれない夢とがあり、ただファイトさえ燃やせばいいというものでもないのです。
なぜかといえば、有願は自分本来の姿ではなく、環境によって生まれた願望です。
言い換えれば、自分を薬にして、それ以外の薬が自分の心の中に入ってきて、他力的に化学変化を起こしたようなものです。

そのために化学変化を起こしたエネルギーをある期間内に燃焼させなければ、自分の本当の姿が現れてきません。
化学変化を起こすとは、余分なエネルギーが付着するということで、早く洗い落とさなければ、真の自分自身が見られなくなってきます。

このような環境によって付着したエネルギー(想念)は、ある種の活力になるわけですから、外目にはファイトのある人、頑張り屋という印象を与えます。
しかし、天の神は手助けをせず、人間自身がどれだけの努力で燃焼させ洗い流すかを、じっと見守っています。

運命学では、この余分なエネルギーを洗い清めるまで、長い人で五十年、短い人で二十年と言い伝えています。
二十年なり三十年の年月をかけ、環境によって生まれた願望を消化すると、そこに初めて真の自分が現れ、運命の神がやおら立ち上がって、それから先の人生に手助けをしてくれるものです。

人間は有願を満足させ、燃焼させた段階で、はじめて自分の心の中から、環境に関係のない夢が生まれてきます。
それが人間にとって、真実の夢です。
同時に本当の自分なのです。

余分なエネルギーを洗い落としたあとに生まれ出る夢を「無願」といいます。
人間が無願を得るようになれば、特別の信仰心がなくても、常に神の力に気が付くようになります。
まだ有願の世界で無我夢中になって働き、頑張っている間は、あまり神の力を感じないものです。
感じるのは、自分の努力と力量だけです。

しかし、それでいいのです。
決して悪いことではありません。
有願の中にいる間は、神にも仏にも頼らないで頑張ってください。
神は見ているだけでしょう。

それでも有願をいつまでも消化できない人は、生涯無願の喜びを知らないまま、あの世へ行かなければなりません。
もし自分の力量不足で有願を燃焼しきれない人は、大いに神に願い、信仰心を持ち、神を信じることに多大なエネルギーを使ってみてください。
その消耗の中に、余分なエネルギーが消えていくでしょう。
無願の世界はあるがままの生き方をしていて、自然に目的地に連れて行ってくれます。

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算命学・占いの雑学・迷いと夢(1)
 人生にはいろいろな出来事があり、楽しいことも多い反面、道に迷うことも多いようです。
迷っている時間というのは瞬時に過去のものとなってしまい、時として過去そのものが迷いの積み重ねになってしまうことがあります。
人間の生活は、常に「過去」「現在」「未来」の三要素によって構成されており、「過去」を捨てて未来へ進もう」などと夢を追っても、なかなかうまくいきません。

なぜならば過去、現在、未来は川の流れのようなもので、川上から川下へ進んでいるわけで、川下から川上へ流れることはありません。
現在をおろそかにして、それが過去となれば川上の水が濁っているようなものです。

川上から濁流がやってくるのに、川下だけを清流に変えたいといって未来へ向かい努力しても、それは空回り、無駄な努力になります。

人間が何らかの形で幸運をつかみたいと思えば、少なくとも自然に、また当たり前のことに逆らわないで進むべきです。
自分自身の過去が濁っていると、人生はいたるところで道に迷い、壁に突き当たり、そこに「あせり」や「無理」が生じ、いつとはなしに不運という世界へ押し流されていくわけです。

あとになって「運が悪かった」などと嘆いてもすでに人生の敗者です。
そして敗者の過去をたどれば、敗者になるような行為と道の選び方をしているのです。
しかし、そこで人生をあきらめれば、次の人生においてまた迷いが始まることになります。
なぜならば、人生を「あきらめた」だけで、過去を綺麗に掃除していないからです。

人生に迷わない第一の条件は、自分の過去を常に清潔にして、過去のエネルギーが現在というパイプを通して、未来へ向かえるようにしていなければなりません。
大きい視野でとらえれば、現在の自分を作り出しているものは何であるかを、よく認識することです。

まず両親がいます。また諸々の恩人がいます。
仕事を教えてくれた人や、何らかの影響を与えてくれた諸先輩がいます。
それらはすべて、自分を作っている過去です。

この過去と自分を結んでいるパイプが汚れていないかということで、もし過去の恩恵を忘れていれば、いつの日にか迷いの中に足を踏み入れることになるでしょう。
人生で無駄ということはあまりありません。
それを受け取る側の心の問題です。

もし人生の迷いの壁に突き当たった人は、今日から自分を形成してくれた方々との間の、パイプを掃除してみてください。
おそらく過去に戻ることによって、未来の光明の輝き度合いが違ってくるはずです。
運命学には「未来を見ることは過去の延長を見るべし」という言葉があるぐらいです。

世の中は幸、不幸いろいろな人が生活していますが、社会の中で真に営々とした成功を収めている人は、人に言われなくても、過去を「きれい」にしているものです。
また「きれい」にしているからこそ、成功への道へ進むことが出来たのです。
運命論以前に、人の行いがものをいいます。


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