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プロフィール

ozaki koetsu

Author:ozaki koetsu
尾崎光越 プロフィール

算命学宗家、高尾義政先生に師事し1988年、免許皆伝の証しとして周位三段を修得しました。
開業にあたり1989年、光越(こうえつ)という称号を授かり現在に至っています。
宿命鑑定、運命指導に徹することが私の一番のモットーです。

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占いの雑学
算命学に関連した占いの雑学、実例を掲載したいと思います。
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欲の本質について
「欲」という言葉は日常的によく使われている言葉ですが運命学的に分析してみましょう。
人間というのは欲があるから生きているようなものだと思います。
何かが欲しい!というのも欲ですが、何かがいらない!というのも欲です。
欲しいというのはプラスの欲ですが、いらないというのはマイナスの欲と考えてください。

人間の欲望というのは自分に一番欠けているところが根源になります。
そして、欲望の本質にあるのが「人間の本能」と言われているものです。

人間の本能には五つの本能があります。

1、守りの本能。2、攻撃の本能。3、伝達の本能。4、物事を知ろうとする習得の本能。5、人を引きつけたいと思う引力の本能。

人がおしゃれをしたり、美しく着飾るということも、人を引きつけたいとか、人からよく見られたいという本能が働くからです。

理想を言えば、この五つの本能を同じような割合で持っていればいいのですが、実際には均等でないために性格に違いが出てくるのです。

たとえば次の人の場合を見てください。
五つの本能を全部合わせると100%とします。

守る本能・・・10%・・・少ないために欲望になります。
攻撃の本能・・・40%。
伝達の本能・・・20%。
知ろうとする本能・・・10%・・・少ないために欲望になります。
引力の本能・・・20%。

全部で100%になるこの人は、守る本能と知ろうとする本能が少ないために、少ないところがこの人の欲望になります。

しかし、この人は攻撃の本能を40%も持っているために、短気で攻撃的な面を持っている人です。
そのために特別に攻撃力は欲しいとは思いません。

世の中を歩んでいく上で、「何かを守っていこう」という部分と「何かを知りたい」という部分を本能的に心掛けるのです。
ですから「欲」という字は、谷が「欠ける」と書きます。
そのことからこの人は自然に「知識欲が旺盛な人」となり、「守ろうとする欲」も強くなっていく人なのです。

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国会混乱、政治混乱に思う
国会混乱、政治混乱に思う

現在の政治混乱の状況はご存じの通りの混乱ぶりですが私なりに思ったことを書いてみます。
自民党や民主党、その他の野党に対する意見は数え切れないほどあります。
しかし、そのことは敢えて省略して申し上げたいと思います。

(1)二院制の廃止、一院制の勧め、議員数の大幅削減、その代わり実務担当の秘書の増員。

(2)今の自民党の体質、民主党の体質では真の二党制の確立は無理だと思います。
そのために「自民党の有志」「民主党の有志」「その他の野党の有志」が「第三党」を誕生させなく  ては政権交代、真の政権は不可能と思いました。

たとえば自民党の小泉元首相や賛同する人達、民主党の前原議員、岡田議員を中心とする人達  更に東国原知事の「せんたく」としてのグループ、その他野党の人達で賛同する人達などが本当の新党を立ち上げ、真の政策に対し国民本位の選択ができるような政党が必要だと思います。

(3)国会議員の名称廃止、国民の代表として「国民議員」とする。

(4)国民に対する政策の説明は難しい言葉は極力避け、分かりやすい言葉づかいと、きめ細かい説明を徹底する。

(5)国民議員は個人ではなく国民の代表ということを強く認識する。
個人的意見は政党内だけで議論し、その結果は政党の結論として世間に発表する。
政党内で意見統一した以外の個人的意見、自己満足、自己主張を自慢げにマスコミに発表する   国民議員は退席を願いたい。
政策的な審議は審議会で徹底的に議論することです。

その他には私なりの意見は多々ありますが皆様のご意見は如何でしょうか。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

節句や行事のルーツ(②)
少し余談になりますが、神仙の中の医術には薬がありますが、この薬にも上、中、下があって、一番の上薬とは病気をする前に飲む薬です。
活力剤とか栄養剤とでもいうものです。
つまり道教の神仙でいう最上薬は食べ物、食事学です。

病気をしたらもうその人は、神様に見放されたということです。
自然の中でバランスを取りながら自然と共に生きていく分には、人間は病気をしないのだ、という考え方が大基にあるわけです。
病気をするということは、自然のバランスを崩しているわけですから、人間から外れているということです。
ですから病気をして飲む薬は下薬なのです。
怪我の時に飲む薬が中薬です。
そのようにして上、中、下があります。
これらは肉体の方の病気です。

それに対して精神の方の病気があります。
何も頭が狂っているというのではなく、何かで落ち込んでいるとか、ショックや心配事があるというのも精神の病気のひとつです。

精神のバランスをうまく保つためにはどうしたらいいかと考えた時に、自然の摂理に人間が従うことが一番良いのだということです。
そのためには天地自然の法則をまず知って、それに人間が即応していこう、というものの考え方が生まれてきました。
そこで発達してきたのが万象学というもので、自然現象をまずよく知って、それに人間が合わせていこうというものです。
その万象学から子平法が生まれ、現在馴染みの深い算命学の大基なのです。

このように道教の中の神仙医術の中で、精神的なものをどのようにしてバランスを取るか、自然の摂理を考えるようになったのです。
人間対自然の中でさまざまな行事が生まれてきましたが、これも昔の人の知恵であったわけです。

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節句や行事のルーツ(1)
 中国では儒教、仏教、道教というものがあり、現在に至るまで発達してきました。
これらのものは東洋人の心とでもいうものを形成してきました。
昔からの仕来りや慣例やものの捉え方は、この三つの宗教によるところが大きいのです。

仏教は、釈迦が人間はこのように生きていかねばならぬ、と教えを説いたものが基になっています。
儒教は、孔子を頂点として四書五経が土台にある学問です。

そして広い中国には土俗的な信仰が点在していて、その宗教を全部まとめ上げたものが道教です。
その上に老子、荘子という大変哲学的なものの考え方が乗っています。

「人間は、人間として生まれてきたからには、ひとつの道がある。その道を極めて始めて人たり得る」という実に高邁(こうまい)な哲理です。
ですから道教には、いろいろな部分があるわけです。
道教というのは、庶民が仕来りの中で守り抜いてきたという宗教ですから、なかなか歴史の表に出てきません。
道教を一言で表すのは難しいものです。

お彼岸とか結婚式の三三九度とか節句(一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)の思想などは全部、この道教から生まれてきているわけです。

東洋・・・仏教・
     儒教・
     道教・・・神仙・・・医術・・・精神・・・万象学、算命学。
・・・肉体・・・薬、診断法。

道教にもいろいろな分野があって、その中に「神仙思想」というものがあります。
これは人間はどうしたら健康で長生きをして豊かに暮らして行かれるか、ということが土台になっています。

人間が長生きをするには、健康でなければなりません。
そこで医術が発達します。
現在は病院に行くと血液検査、レントゲン検査と検査機関があります。
しかし、三千年~四千年昔の医術は検査技術がありませんから、そこで手を見たり、顔の色を見ることによって判断しました。
この医術を助けるための検査方法だけが後年独立して、手相、人相、骨相・・・として発達していったのです。 …続く・・・

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