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真リフォーム扇屋

プロフィール

Author:ozaki koetsu
尾崎光越 プロフィール

算命学宗家、高尾義政先生に師事し1988年、免許皆伝の証しとして周位三段を修得しました。
開業にあたり1989年、光越(こうえつ)という称号を授かり現在に至っています。
宿命鑑定、運命指導に徹することが私の一番のモットーです。

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占いの雑学
占いやそれに関連した雑学、実例を掲載したいと思います。
今年もストーブの季節になりました。
昼寝の時間はストーブの前はこんなで。ブログ.すとーぶのまえ
ブログ.ストーブ

テーマ:猫のいる生活 - ジャンル:ペット

茶トラの仔猫
9月19日の朝、まだ生後1ヶ月ぐらいと思われる仔猫が近所の方に連れてこられました。
まずは動物病院です。
診て頂いた結果、目の治療がだけ必要でしたが、とても元気なメス。
ぶろぐ.ちびちゃ

ぶろぐちびちゃ.1


赤羽の三角屋さんで土曜日の午後3時頃から里親会が行われています。
色々な事情を抱えた仔猫達が来ています。
仔猫を欲しい方達がこの可愛そうな事情を分かって頂き、家に迎えてくださるのです。
この子猫は、小学生のお嬢さんのいるご家庭で飼って頂けることになりました。


テーマ:里親探し - ジャンル:ペット

占いの雑学・運命とは何なのか
運命とは一体何なのだろうかという疑問をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、以外に単純に出来ています。
まず、運命を考える時に重要なのは、「当たり前」ということがポイントです。
この当たり前こそが人間の「心理」です。

しかし、人間はついそれから逃れたくなりますが、人間の人間たるところかも知れません。
この「真理」という呼び方は、道教的な呼び方です。
仏教では「法」といいます。
また神道では、「法(のり)」といいます。
真理とか法といえば難しく感じますが要は「当たり前」のことです。

仏教の法ならば、苦難があれば原因を捜し、取り除いていけば幸せが来るといっています。
道教では、苦労から解脱するためには一つの自然の法則に従っていけば必ず幸せになるとしています。
また神道は特別な思想ではなく、ただ神と一体化することです。

たとえば結婚式でも分かるように、夫と妻と神の三者契約をするわけです。
この神というのは、自然の法則と捉えてください。
これは理屈どうこうではなく、自らも自然に生かされているのだということを中心に考えています。
仮に朝寝、夜起きているなどを続けていれば、自然の動きに反していますから体調を崩すでしょう。
結局は自然に逆らえないのです。
だから逆に、自然の法則(神)をいかに人間の領域に取り入れていくかです。

その取り入れ方の一つが、十二支の思考であり、節句といって一年に節目を設けて神と何らかの接点を持とうとしたのです。
一月一日を正月の節句、三月三日を雛祭り、五月五日を端午の節句、七月七日を七夕、九月九日を重陽といって祭を開きます。
昔の人達の方が情緒的かもしれません。
実は運命というものを語る時、この「情緒」が必要です。
人間は最初に与えられた「宿命」というものがあります。
これは誰の親のもとに生まれたというように選ぶことの出来なかったものです。
この「宿命」というのはどうやっても変えることの出来ないものです。

環境の中で親子関係が第一です。
そして、自分が男性であるか、女性であるかということです。
これが第二番目です。

第三番目は、出生地です。
これも宿命です。
この宿命を変えようとすれば、どうしても人間に相当な無理がかかります。
それならば、与えられた宿命、神様から与えられた条件をそのまま受け入れて上手に扱っていくほうが自然です。

第一番目の親子関係には兄弟、姉妹関係というものがあります。
これも大きく自分に左右していきます。
人間は生まれながらに、誰かの手にかからないと育たないように出来ています。
つまり、自分に与えられたものに対して「環境」というものがあります。
親との関係という「人的環境」はこれからの人生にとって非常に大きなポイントになります。

いくら同じ生年月日の生まれでも、表れる個性、星は同じであっても、この「環境」によって雲泥の差になっていきます。
環境と生年月日の持っている個性が合致すると、中年期、晩年期に見事に大成していく人が多いのが現実です。

たとえば教育ママを持ったということも「人的環境」ですし、まったく教育に無頓着な親を持ったのも「人的環境」です。
どちらがいい、悪いではありませんが、たとえば芸術とか学問の個性を持った子供がいれば、教育ママに育てられたほうが自分の本質をスンナリ生かされていくでしょう。
つまり「環境」がいかに大切であるかということで、持って生まれた本質だけで、いい、悪い、今日生まれたからもう駄目だとか、ということは絶対にありません。
その第一の原因を作り出していくのが「配偶者」の存在です。
人間にはある程度決められている部分もありますが、そうでない部分もありますから人生が面白いのです。

決して決定されているわけではありません。
変えようもない宿命(本質)はありますが、それを生かすも、殺すも自分の努力と「環境」です。
つまり、自分にとってどのような「環境」が本質を伸ばしてくれるのか、これが実は運命改良のポイントになります。

最初に全てが決まっているのではなく、本人の生き方が大きく左右して人生が進んでいくのだということを、知っていなくては駄目です。
全て決まっているからと考えるから、大道易者のような「当たった!当たらなかった!」という「占いの当てもの」というものになってしまいます。


占いの雑学・節句が意味するもの
三月のお雛様の話です。
お雛様の節句というのは、女の子の節句です。
この節句というのは、もともとは宮中行事の一つで、本来は一年間に五回ありました。

この節句というのは十二ヶ月の中で「奇数の月」に集中しています。
これらの節句を「五節句」といい全て奇数月にあります。
奇数の月は・・・陽・・・明るくめでたい意味があります。
偶数の月は・・・陰・・・暗いイメージがあります。

五節句の一番目が・・・一月一日、お正月です。
二番目が・・・三月三日のお雛様です。
三番目が・・・五月五日の端午の節句です。
四番目が・・・七月七日の七夕です。
五番目が・・・九月九日の「重陽の節句」といい、天皇家だけでお祭りしています。

数を見ていただきお分かりのように、「月と日」の数が並んでいます。
奇数月、十一月は神無月といって節句はありません。

そして、三月は女の子の節句、五月は男の子の節句となります。
また一月と七月は正反対になっています。
一月は、人間のお正月です。
七月はお盆ですが、あの世の正月ということです。
七夕というのは、もともと願い事をかなえてくれるものではなく、亡くなった人を供養する節句です。
九月九日、「重陽の節句」は天皇家でお祭りしていますが、寒い冬を越えるための準備をするためのものです。

このように節句というのは、季節の区切りということです。
一月は真冬、三月は水が温もり、五月は初夏で青葉が繁ってきます。
七月ぐらいになると時には涼しい風も吹き、九月になればそろそろ冬の準備に取り掛かるのです。

この五節句というのは、道教という宗教から出てきたもので日本人が考えたものではありません。
その原型は今から1200年ぐらい前の中国、唐の時代です。
そして、雛祭りというのは、人間の代わりに人形を作って自分の気持ちを念じるのです。
そして、一生懸命念じ、お祭りすることでその念が目に見えない力によって人間達に幸福を返してくれるという方法です。
そこに道教思想、自然思想、五行説による占いなどと深い関係を持つことになります。

テーマ:占い - ジャンル:趣味・実用

占いの雑学・一生花の咲かない運・飛龍運(ひりゅううん)
花にも蕾の時もあれば、花を咲かせている時もあり、散っていく時もあります。
人間の運命というのも特別のものではなく、花の命と同じようなところがあります。自分の花が咲くのはいつごろなのだろうか?これは年令に関係がありません。

小さい時に花が咲く人もいるでしょうし、70歳、80歳になって咲く人もいます。
こういうものを踏まえて、人間の運命を考えていくと、いろいろなパターンが出来上がります。

その中で非常に面白いパターンに「飛龍運」という運があります。
この飛龍運というのは生年月日で分かるものではありません。
この運のパターンの特色は「女性の運」です。
そして、この運のパターンは一生花が咲かない運、つまり花がありません。
この運のパターンには条件があります。

1、女性だけです。
2、子供の数が非常に多い人です(三人以上の子供運の人です)
3、夫が頼りにならないことです。
いわゆる駄目亭主を持っていて、子供だけは沢山いるという形です。
こういうことになれば、自分が先頭になって頑張らなくてはならないようになります。
4、女性が非常に勝ち気であることです。
5、情的な女性です。

下町のおかみさんみたいに瞬間的に強さのある人ですが、精神が強いというのではなく、俗にいう気が強いという意味です。
大体勝ち気の人は、人の良さがあって純粋な人が多いようです。
逆にずる賢く、ドロドロしている人は勝ち気にはほど遠く、表面はソフトに見えても自分の思ったようにやるような感じです。
勝ち気な人は正直ですから、何か言われると何か押し返すというような形になります。
この飛龍運になる女性は夫に頼ることが出来ません。
このことは一つのバランスでして、夫が頼りになりませんから、自然に奥さんが力強くなり、勝ち気になるわけです。
しかし、そうかと言って、亭主と別れて一人でやっていく心の強さがあるわけではないのです。
つまり情的な人です。
こういう条件が揃うと飛龍運のパターンになります。
特色として自分の運が子供によって食われてしまうのが大きな特色です。

最初から花が咲かない運という人は一人もいません。
ただ、たまたま一緒になった人とか、子供達の取り巻きによって変化していくのです。
飛龍運は子供が出来る度に、自分の運がどんどん食われてしまう形ですが、確率でいうと5〜6万人に一人の割合でこういう運勢が出てきます。

この運は生涯花が咲かないのですが、本人ではなく子供の中に天才的な子供が出てきたり、一代で大成するような子供が生まれてきます。
つまり自分の子供は花が咲くように出来ています。
極端にいうと、子供を伸ばすために自分が犠牲になっているようなものです。
頼りにならないが、離れられない夫を持ち、子供を多く持ち、勝ち気で情的な人であるというものを持つとそういう形になるわけです。
大体、大成者の母親というのは飛龍運の人が非常に多いようです。

このように運命というのは「環境」がポイントになります。
自分が持って生まれた本質は変わらないのですが、その渡っていく環境の中でいろいろと変化していきます。
「運」という字は「運ぶ」ということですが、この字は「軍(いくさ)」に(しんにゅう)ということで、戦いながら進むことが「運」です。
この「運」という字の(しんにゅう)は進むというという意味を持っています。
つまり、運命とは常に「動」です。

またこの飛龍運は、もし途中で離婚した場合は、この形は消えてしまいます。
この場合は他の運になってしまいます。
自分の代で花が咲かず、子供の代で花が咲くわけですが、たとえば皆さんが知っている田中角栄氏の母親はこの飛龍運に入ります。
結婚をしましたが亭主が頼りにならず、そうかといって離婚はしませんでした。
そして亡くなられただけです。
子供達を養うのに相当な苦労があったと思います。
そして、田中角栄氏なる人物がその子供の中で伸びていったわけです。
この飛龍運に入る母親の子供は、子供全員が伸びるのではなく、一人が伸びることによって回りの子供も伸びていくことになります。

運勢を大きく捉えながら見ていく一つのコツに、子供の数が二人とか三人ではなく、それ以上の子供が出来ると、親の運勢はまず下がっていきます。
子供が沢山出来て、親の運勢もいいということは非常に少ないのです。
これは一つのバランスです。
運命というのは一体何だろういうと、それはバランスなのです。

これらの運の形は「運型法」といい、生年月日を使わないで占っていく方法です。
さまざまな生きていく条件を使って、運のパターンを探していきます。
さて、このように飛龍運は自分の花が咲かない形ですが、逆に咲きっぱなしという運もあります。
実に運の形というのもいろいろです。

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算命学・占いの雑学・暦術(2)
陰陽暦は木星の周期によって出来上がった十二次を、天の五惑星が廻ります。
そのために12×5=60の理が成り立ちます。
そこで成立した「六十花甲子」を年毎にあてはめ、60年一周期の理法を作り出したのです。

一年を六十進法によって進めるので、毎月の種類も60種でなければなりません。
また毎日も、60日一周期でなければ天の理法とならないのです。
勿論、一時間60分、一分60秒の理にもなるわけです。

算命学思想という名称は、耳慣れない言葉だと思いますが、簡単にご説明すると「自然即人間」であり、「人間即自然」であるという考え方です。

自然界の中で生存するためには、自然を常に自分たちの見方にしておかなければなりません。
人間の努力は努力として、それを倍加させ得るものも自然のエネルギーであり、半減させるのも自然です。
自然界の法則に人間が従い、また自然の力を利用している時は、最大の神であり援助者です。

しかし、人間が自然を破壊したり、自然の力を追い越そうとする時は、途端に敵となり悪魔となってしまうでしょう。
古代の東洋人は、この自然力を知っていたからこそ、自然が持つ力の法則を追求して暦術に生かそうとしたのです。

暦術発生以前、占術発生以前に自然界から学んだ自然の法則が算命学です。
古代中国では暦術を初め、占術政治体系(律令)、兵法にまでこの運命学が生きています。

この思想が西洋の横割り社会・・・老若男女すべて神の下に平等という考え方に対し、儒教や仏教などにみられる東洋の縦割り社会・・・人間の分を知る、男は男の分、女は女の分、つまり授けられた範囲を守るという考え方が生まれたことは歴史が示すとおりです。

しかし、この考え方によって科学より思想が優先し、暦においても時間の分類のみにとどまらず、空間の分類まで加味して暦術にも思想が入り込む結果となったのです。

同じ暦でも西洋の太陽暦などは、空間を抜きにして時間分類のみの暦が出来上がっています。
西洋は西洋なりの良さ、東洋は東洋なりの良さがあるでしょう。
西洋は自然の力を追い越すために、自然を活用して科学を発達させました。
東洋では自然界に従うために、自然を分類し思想を発展させたといっても過言ではないでしょう。

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算命学・占いの雑学・暦術(1)
算命学は西洋の天文占星術と異なり、天文の部分は天文学者に任せ、暦術と占術を分業しています。
つまり天文学者は天文を観測し、それによって暦を作成しています。
天文学者によって作り出された「暦」は、そのまま大衆の日常生活の中で生かされ、「暦術」が宇宙の法則を人間生活の中で活用した最初です。

暦というのは天体という一つのものから生まれましたが、西洋では太陽暦、東洋では太陰暦が生まれました。
算命学の原理を基にして生まれた干支暦もその一つです。

現在我々が使用している暦はグレゴリー暦という太陽暦です。
この暦はローマ法王グレゴリー13世が1582年に改暦して作り出したものです。
中国では革命と同時に1912年にグレゴリー暦を使用するようになりました。

太陽暦によって我々の日常生活が成り立っていますが、算命学で使用する暦は東洋で生まれた「太陰暦」とこの「太陽暦」を組み合わせた「太陰太陽暦」です。

太陰暦は明治以前に使用されていたもので、太陰つまり「月」の運行法則によって作り出されたものです。
太陰は、29日余りで天空を一周します。
つまり一ヶ月が29日の日の月と、30日の月が一ヶ月おきに交替でやってきます。
しかし、太陽暦に対して11日間短いのです。

11日間もずれるといつか季節と合わなくなります。
つまり一年の四季は太陽の動きによって出来ているためです。
このずれを修正するために、閏月を定めたのです。
太陰暦は、一年が12ヶ月になったり、13ヶ月になったりするのでとても不便でした。
また季節とずれるために農耕民族に嫌われました。
そこで太陽暦と太陰暦を組み合わせて季節のずれをなくしたのです。
 
東洋では太陰暦を、太陽暦と結びついて「太陰太陽暦」になってしまったために、純粋な太陰暦は残っていません。
俗に「旧暦」といわれるのがこの「太陰太陽暦」です。

算命学では、この太陰太陽暦を「十干」「十二支」で表し、六十進法を使用した「干支暦」を使用しています。
太陰太陽暦は、「陰」と「陽」が一つになった暦であるために、干支暦を含め「陰陽暦」とよばれています。

テーマ:占い - ジャンル:趣味・実用

政治混乱
最近の政治混乱を皆様はどのように感じますか。

自民党は求心力のない人材の集合体。
民主党は代表、元代表とも隠し金を正当化する自己満足。

どうひいき目に見ても自慢できる政治情勢ではないように思います。
つい、日本にもオバマが欲しい夏の陣、と言いたくなる思いです。
せめて一票を握りしめながらしっかりと見つめながら判断したいと思いました。
占いの雑学・運命には必ず「原因」と「結果」がある(2)
算命学・占いの雑学・運命には必ず「原因」と「結果」がある(2) 

またこれは稀ですが、自分は次男に生まれ長女と一緒になったため、知らないうちに長男的な役割りをすることになることがあります。

しかし、ここで厄介なことがあって自分は次男に生まれてきたのに、あるところで長男が亡くなった場合、本来は偶数児なのに奇数児に変化します。
これは結婚前であれば、偶数から奇数に変ったのですから相手も奇数児を選べばいいのですが、結婚後に長男が亡くなったりすると、すでに自分は偶数児として結婚していた縁が反対になってしまい結婚の形が狂ってきてしまい、親とは衝突をするし、お嫁さんも苦労しやすくなるという現象が出てきます。

大体、結婚において奇数児同士、偶数児同士が一緒になるほうが「正婚」といって正しい形の結婚になります。
そして奇数児と偶数児が一緒になると「偏婚」といいます。
つまり婚姻関係というのは、この「正婚」と「偏婚」の二つの形で出来上がることになります。

そして両方を比べますと、「偏婚」の方が離婚率が高くなって出てきます。
「正婚」の方が離婚率が小さく、子供も長男が跡を継ぎ、女の子は嫁にいくという形になりやすいのです。
「偏婚」の家の女の子が嫁にも行かず、男の子も何となくパッとしないというような差になって出てくるのです。

人間は誰とでも結婚出来るように思えますが、こういった目に見えない法則があるわけです。
そしてこの婚姻、つまり「正婚」「偏婚」を基準にして、それぞれの家庭に生まれてくるであろう子供の運を見当付けることが出来ます。

但し、この正婚と偏婚の法則は再婚の場合は例外となりますのでご注意ください。
もともと人間の運命は最初からいい、悪いが決まっているのではなく、持って生まれた本質と環境の問題だと申し上げました。
そして環境には「人的環境」、親とか子供、配偶者など自分を取り巻いている人達です。

芸術家などによく言われますが、最初の奥さんと結婚したら、絵を書いても売れなかったのに、2度目の奥さんを貰ったら途端に運勢が上がってくるという人もいます。
これは「人的環境」のなせるわざです。
自分のせいもあるでしょうが、環境の変化で運命も変ってくるのです。

それから住む場所も環境の一つです。
都会に住んでいるか、田舎に住んでいるかも、大きな違いになってきます。
そういう中で、今ご説明いたしました「正婚」「偏婚」というのも一つの人的環境ですが、「正婚」の家庭で生まれた子供の方は穏やかな運勢を作っていき、バランス人生になりやすいのです。
しかし、「偏婚」の中で生まれる子供は極端に成功するか、極端に失敗かという安定性に欠けやすい人生を歩みやすいのです。

…完・・・
占いの雑学・運命には必ず「原因」と「結果」がある(1)
算命学・占いの雑学・運命には必ず「原因」と「結果」がある 

人間の運命というのは、面白くかつ不思議で分からないところが沢山あります。
専門家の立場から運命を見ていても、まだ氷山の一角を見ているにしか過ぎないことを実感します。

つまり、ちょっと表に出てきた、幸運なり不運なりの原因は、目に見えないところで大変な広がりを持って存在しているのです。
そして必ず運命には「原因」と「結果」というものがあります。
どんな運命においてもこれは存在しています。

そこで、「原因」と「結果」を考えてみましょう。
これはよく考えると実に厄介なもので、自分にはまったく知らないことである「先祖」とか、そういう時代の現象が一つの「原因」を作り出します。
今現在、生きている我々にとっていろいろに「結果」を生み出しています。

自分にとって親とか兄弟はまったく関係ないというわけにはいかないでしょう。
「親の因果は子が背負う」というように確かに親の生き方、過ごし方が我々の運命の大きな「原因」になっていることは確かです。
勿論、自分自身でも「原因」は作っています。
一つの「原因」から「結果」が出るまで、運命学的にいうと最低100年ぐらいかかっていると言われています。
この関わりの中で、一番基本になるのが、まず人間が生まれるというのが運命の出発点です。
親が子を産み、親子になる、この親と子供の因縁は実に運命の根源になるところです。

その意味でも、子供が出来る前の婚姻関係が大きく関わってきます。
ここにある男性がいたとします。
そして女性がいます。
当然二人には両親がいます。


男性の世界と女性の世界はまったく違っていて、男性は精神的、夢を追い求めるものがあります。
女性は目の前のことを追うという現実的な要素があります。
一旦、人生が崩れた時の脆さは男性のほうが大きく、女性のほうが強く逞しいものがあります。

さて男性と女性が結婚するわけですが、その時たまたま男性が長男であったとします。
長男というのは、だいたいお人好しで大らかにところがあります。
またシッカリ者は次男に多く要領がいいといえます。
但し、女性の場合は逆の形になります。

婚姻関係と親子の因果とは、まず「長男」、つまり奇数児といい、三男、五男というように奇数に生まれた人のお嫁さんは、長女、三女、五女というように奇数に生まれた人が来やすいのです。
また逆に、自分が偶数児、つまり次男、四男、六男であれば、相手も偶数児といった感じで、これは大体8割方そういう形になっているようです。
これは婚姻の法則です。

ですから長男に生まれているのに、たまたま次女に恋をして結婚しようとすると、奇数と偶数ですから世界が合わないことになります。
そのためになかなか回りの賛同を得られ難かったりすることがあります。

自分が次男で相手が長女という場合も、これも世界が合わないわけで、こういう形で結婚していくと、いつの間にか次男のほうが相手方、つまり奥さんの方へ養子にいったような感じになりやすいものがあります。

…続く・・・